2008年05月21日 ワールドミュージック , エルスールレコーズ
東方音楽に連なる円熟のギリシャ歌謡


ギリシャ歌謡の女王、ハリス・アレクシーウ、古くからのファンならご存じかと思うが、彼女は1994年に来日公演をしてくれた。素晴らしいステージで当時の日本のファンを喜ばせてくれたが、その後、我が国では、いつの間にか潮が引くように忘れられてしまった観がある。けれど、もちろんギリシャにおいては、以前にも増す活発な活動を続けている。1950年生まれだから、既に50代を越して久しいが、その歌声は味わいを増しこそすれ、まったく衰えず、一作ごとに考え抜いたアイデアと陰影のある歌声を聞かせ、過去の成果を自己模倣することもなく、円熟を深めている。そんな彼女の今のところスタジオ録音最新作が久々に国内リリースされた。日本語タイトルは『酸っぱいチェリーと苦いオレンジ』、聴けば聴くほどに素晴らしいアルバムに仕上がっている。
ところで、ギリシャというと、ヨーロッパ文明の基礎を作った国というイメージがある。それはそれで間違いはないだろうが、反面、最も西アジアや中東に近い西洋の国でもあり、近世においては永らくオスマン・トルコの一部であったことも知られる。そして、現在、耳にすることのできるギリシャ音楽も、トルコやアラブの音楽から少なからず影響を受けていることは明白で、例えばブズーキやバグラマーといったギリシャ音楽の要となる弦楽器はトルコから伝わったものだし、奇数拍子、変拍子リズムを多用する音楽のあり方にも東方音楽との血縁関係がうかがえる。また、その歌の表情を彩るメリスマ、コブシ使いにも、他の西洋諸国とは一線を画す西アジア〜アラブ的な感覚が色濃いだろう。
そんなギリシャならではの独自な音楽の伝統は、本作にも十分に聴いて取れるだろう。バックのサウンドは、全曲アコースティック楽器のみを使用し、しかもスタジオ一発録りということで、臨場感と自然な繊細さを強調した作り。ギリシャ、そしてバルカン的な奇数拍子、変拍子を、アラブ世界で多用されるダルブッカやベンディールといった打楽器が刻み、ブズーキと生ギターを主体に、様々な民俗的な弦楽器、アコーディオンやヴァイオリン、あるいはカヴァル、クラリネットなどの各種管楽器が、曲ごとに入れ替わり豊かな彩りを添えている。そして何より、とにかく自然な発声に沿って、どこにもリキんだところがないハリスの歌声が素晴らしい。オリエント〜アラブ世界と地中海、バルカン半島の交差するギリシャの歌を、彼女が一人の女として歩んで来た過去の時間と重ねるようにして、歌ってくれる。まったく、おしつけがましいところがなく、不足もなければ過分もない。プライヴェートな心情と、トラディショナルな表現が、表裏一体となった円熟の境地とでも言うべきである。
(原田尊志)