白いごはんの誘惑
海外旅行に行って一番困るのは、大方の人にとって言葉と食事だと思う。
フランスに住んでいた時、日本から来る観光客の人たちが、現地に着いて何日も経っていないのに、日本食のレストランに入るのを見て、もうあの人たちは日本食が食べたいのだろうか? といつも思っていた。でも自分だって結局は彼らと同類の人間ということに、最近私は気づいてしまった。
2年ほど前、モロッコのエッサウイラという町でのこと。暑い日中に写真を撮っていて気分が悪くなり、やっとのことでホテルに戻った。
頭はガンガンとして熱っぽく、食欲は全くなかった。ベットに横になっていると、窓の外の路地から男たちの声が立ち上がるように聞こえてきて、いつまでも眠れなかった。
翌日になると少し回復したので、何か食べようと通りに出てみたが、市場の香辛料の匂いを嗅いただけで、もう何も食べたくない。
めくるめく妄想
フラフラとホテルに戻り、ベットに横になっていると脳裏に浮かぶのはふわふわの白いごはん。もしここに温かいごはんとなま卵があれば卵かけごはんにして食べよう、そうそう納豆ごはんもいい、次はお寿司、生寿司もいいけど太巻きも食べたいなー。それからイカの塩辛もごはんといっしょに……。
こんな風にして次から次へと白いごはんの妄想は続いて止むことはなかった。大好きだったクスクスもタジンももう見るのもいやになった。
なんだかんだと、外国の料理のあれが食べたい、これがおいしいなどと言っているくせに、いざとなれば、結局日本の慣れ親しんだ味に執着している私。私の舌はすごく保守的だった。
白いごはんと言えば、私の故郷は米どころ新潟で、小さい頃からおいしいごはんを食べてきた。思い出すのは、遠足や運動会になると登場する母の作ってくれたおむすびだ。母のおむすびは、今のおむすびのように小ぶりで三角のかわいいものでなく、ごろんとして太鼓形で大きく、海苔がごはんをぐるりと包んでいた。中身は梅干しと塩鮭で、私は塩鮭の方が好きだったので、食べる前にこっそり割って中を確かめてから食べていた。
おむすびと故郷の風景
米を作る田んぼの風景もいつも私の身近にあった。新緑の頃の青々とした稲、秋の稲刈り。私の子供の頃は稲を乾燥させるため、あぜ道にあるはざ木という木に稲を干していた。
おばあちゃんの家は越後平野に近く、田んぼの中の一本道を車で真っすぐ行くと弥彦山が遠くに見える。はざ木と田んぼ、後ろに控える弥彦山の風景は私の頭の中に染みついている。
先日、良寛ゆかりの地、和島村で良寛むすびというおむすびを食べた。中には鮭、おかか、梅干しが入っている、良寛が好んで食べたのかなと思ったが、これは店の人がつけた名で、考えてみれば托鉢をして歩いていた良寛が、こんな贅沢なおむすびを食べることはそうなかったろう。このおむすびは大きくて、母のおむすびの形に似ていた。
和島村からの帰り、田んぼの中の道を車で走りながら、私は久々に母のおむすびの味を思い出していた。
この広々とした越後平野と大きなおにぎりがあって、私の故郷はいっしょになる。
私はこれからも海外に旅をして、いろんな食に出合いたい。でも、それは日本でごはんが私を待っていてくれるからだ。男の人が、しっかりものの女房が家にいるのに、いろんな女の人と浮気するのと、それは似ている。
そして晩年は、外国の料理を時々食べ、その土地で出会った男や女、心に残った風景を思い出すことができたら、私の老後も充実するに違いない。
私はあといくつそんな料理に出合うことができるのだろう?
